3月23日の日曜日に紀伊國屋書店ゆめタウン広島店で「『視点をずらす思考術』刊行記念 森 達也さんサイン会」が開かれますが(紀伊国屋書店イベント参考)サイン会予告ポスターに「空気を読むのをやめてみないか」と大きく印字されていました。この本は読んでいませんがポスターの言葉には同感です。ここ数年どうも空気を読む方法を説明した雑誌記事が目について気になります。最近も雑誌MORE 4月号に「オトナの教養講座 マナー以前に必要です! ビミョーに空気が読めてない…私って「BKY」な人?」という記事を発見しました。僕は小学校時代から「言葉で言わないけどお前も理解しろ」「これが不文律だからお前もルールにしたがえ」という集団のおしつけ(えてして地域ルールだとかその場の番長ルール)がどうも嫌いな性格でして、「空気」が読み取れそうな状況でもあえてボケたり、わざと全体にさからったりという事をくりかえしている異端児です。他の例で言うと、爆笑問題の太田光が発言しているlivedoor ニュース記事がありました。(引用開始)「俺がネットを見ていたら、『爆笑の太田は空気読めない!』とか書いてあったんだ。俺はそう言われることはまったく気にしない。でも、『空気読めない』ってそんなに悪いことか? 今どきの小中学生は、『空気読めない奴』って周りから思われることを気にしすぎてるんじゃないか? 周りの意見なんて、ネットに何書かれてるかなんて、いちいち気にするんじゃないって!」。(引用おわり)がためになります。「爆笑問題のニッポンの教養 万物は渋滞する」第五章の中でも太田光は空気がよめなくてもいいじゃないかという趣旨の事を書いています。太田光の意見に同感しました。ちなみに山本七平の「空気の研究」がその太田光の発言中で引用されています。他にもネットで探すと「空気が読めない」という時の「空気」の研究などでも山本七平の本についてコメントされていて、どうもこれは日本人の心理を研究するための面白い本のようです。(参考にY氏の記事「KY」もどうぞ。)
コメント
「場」をわきまえてさえいれば、「空気」を読めなくても、「空気」をかえても別にかまわないと思いますよ。そんな強くてクールな大人になりたい(^_^;)
職場の僕ダメなんすよね?、「場」をわきまえられなくて。
うーむ「空気を読む」と「場をわきまえる」。
「場」の方が社会の規則らしいですかね。
「場」だと「目上か目下か」「正式かくだけた場か」
が大事っぽい。
「空気」だと「社長派」「専務派」とか
「ジャイアン派」「しずか派」「のびた派」という
人脈のにおいがします。