「空気を読め」というセリフがここ数年ネットの上で気になるのですが、今日は 「場の空気を読む」って英語でなんて言うんでしょうかという質問をYahoo知恵袋で見つけました。そしてR25というオンライン雑誌の記事では「今週のテーマ 異動先の職場の空気を早く読みたい」なんていうものまであります。どこか気味が悪い言葉です。確かに僕の知人なり友人なりでも(ネット上や掲示板上で)使う言葉ではあるし、冗談半分で使うことも多いセリフなんですが、どうも僕はひっかかります。僕が感じるのは、「空気を読め」というセリフには「具体的に指示はしないけれど、周りを見渡して、周囲と同じ行動をとりなさいよ、または先輩達と同じ事をしなさいよ、または私たちのルールに従いなさいよ」という小さなファシズムみたいな圧力を感じるからです。そして、後輩A君が発言した後、そのグループ内で先輩格のB君が言った「A君、空気を読め」と、先輩格のC君が言った「A君、空気を読め」とは期待するものが全然別ということもあるわけで、「俺は具体的に言わないけどな、俺の考えてる通りに行動しろよ」という身勝手なセリフとして「空気を読め」が使われる場合もあります。「空気を読め」というセリフを使う側は頭を使ってなくて「いやだ」とか「嫌い」と同程度の中身しかないところも気になります。しかしこうやってアレコレ理屈を書いても、「空気読め」という言葉は減ったり消えたりしそうにはありません。せいぜい日記のかたすみに「アンチ空気派」という主張を書くくらいがささやかな抵抗でありますが。
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